一人で学ぶ、集団で学ぶ
私は大学生を教えた経験があるのでよくわかるのですが、子どもの発想や表現は大人の想像をはるかに上回ります。突拍子もないものを描いたり創ったりする潜在能力を、子どもは持っています。私たち教師の仕事はその芽をつぶさないこと。立命館小学校の図工の授業では、ごく基本的なこと以外は指導しません。絵の具や筆、はさみなど道具の使い方はもちろん教えますし、その時どきのテーマも与えますが、そのあと子どもは自分で考え、描き、創り出していきます。
まず「一人学び」の時間では、とにかく自分なりに考えて表現してみる。続く「集団学び」の時間はいわゆる合評会のようなものですが、ここで全員の作品を見比べて、互いの作品のいいところを見つけ合うのです。この友達は、ぼくが、わたしが思いつかなかったやり方で描いている!と発見しますよね。大切なのはこの「気づき」。それを自分の絵に取りこんで活かす。この学び合いを繰り返すことで、作品がどんどんよくなっていきます。この学び合いが、子どもたちの「自己肯定感」や「他者受容能力」を育てるんです。教師は見守るだけなんですよ。
「集団学び」の様子。
友達のいいところを発表します。
じっくり観察し、何色もの色を重ねていきます。
「正しい絵」はない
一人で考えて描いてみる「一人学び」、友達のいいところを見つけて学びあう「集団学び」、これは1年生のときから実践しています。とくに入学してきたばかりの時期は、受験を経験していますから「正解」を求めようとするんです。よいと評価されるもの、正しいものを描こう創ろうとする。それをまず壊すところから始めます。教師はお手本も示さないし、ある作品を例示して「これはいい絵です」などとは言いません。それをするとみな同じ絵を描いてしまいます。
一人ひとりの表現に、「正しい」も「悪い」もないんです。生まれた線や色遣いはその子が生み出したその子だけの表現。生み出せたことが大事なんです。ですから、作品を持って「先生、これでいいですか」なんて聞きに来ても、私はいいも悪いも答えません。「自分で考えなさい」と言います。どうすればいいんだろうと逡巡する子も、「なら先生が言ったとおりに描く?」と尋ねると、嫌だと言うんですよ。背中をもうひと押ししてやれば、自分で考え、自分だけの答えを見出し、自分で表現できるようになります。
図工で鍛える
「思考力」「判断力」「表現力」
図工の授業においても言葉を使うこと、文章表現を大事にしています。ひとつの単元が終わったら「振り返りシート」の記入をします。制作を通じて思ったこと、わかったこと、友達の作品から学んだことなどを書くのです。これを見ると、よくテーマを理解し、クラスの仲間の作品をよく観察している子、つまり「友達と学び合えている」子は、描くもの創るものが素晴しいとわかります。人のよいところを見て真似て、そして自分の表現として取り込めれば、表現の技術は向上したことになります。でも、目指しているのは表現技術の向上のみではありません。芸術作品というものは多分に偶然の産物のようなところがありますが、それでも、自分がどのようにしてそれを創ったかを整理して文章にしておくことは、論理的な思考力や判断力を育てると同時に、芸術的な表現力をも養います。よく見てよく考え判断できる子は、表現力も自然と向上していくんですよね。
図工室の前には子どもたちの作品がずらり。
陶器は校内の窯で焼きます。